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【艦これ】秋イベは蘭印作戦! 【進撃! 第二次作戦「南方作戦」】(2019年秋イベ)

イベント海域攻略(第二期)

神楽です。

秋刀魚&鰯祭りの終了に続き、運営電文にて秋イベのモチーフが発表されました。

 

次は蘭印作戦ですってよ!?

初動で第八駆逐隊が出動予定ということは、

ジャワ島沖海戦からスタートってことでしょうか?

 

レディ・パーフェクトリィ、準備は完全に整った。

神楽んとこの八駆……というより改二朝潮型は皆、準備万端ではあります。

耐久12nも克服していますしね。

仮に序盤で八駆を使ってしまっても、何処かで出るであろう地上型に対しても

アラレチャン(霰)とカーチャン(霞)を繰り出せますしね。

にしても、ルンガ沖の予想はハズレましたかね?

今年こそはと思ったのですがねぇ。

さすがにインドネシア方面からガダルカナルに向かうってのは現実的ではないでしょうか?

とはいえ、2019年春では坊ノ岬からアリューシャンに行ってハワイまで飛びましたけど。

 

秋イベの作戦名が公開されました!

【進撃! 第二次作戦「南方作戦」】だそうです。

そういえば、以前に新規艦は「多彩な」の形容詞が付いていましたね。

この場合は五隻以上の新規艦になるのが通例だったので、

そうなると中規模以上である可能性が濃厚になって来ました。

 

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蘭印作戦(H作戦)――蘭領印度(オランダ領東インド)作戦

では、例によって今度のイベントの史実での参加艦を紹介していきましょう。

当時、オランダの植民地であったインドネシアは豊富な地下資源を有し、

物資にあえぐ日本としては是非手に入れておきたい土地でした。

錫やボーキ、ゴム、そして石油ですね。

この地を守るオランダ海軍はシーレーン保護のみを目的とするものに過ぎず、

かつ1940年にはドイツの侵攻によってオランダ本土が蹂躙され、

政府と女王がイギリスに亡命する事態となっていました。

この機を逃さずインドネシアを占領し、

併せてアメリカ領フィリピン・イギリス領マレーをも奪取しようというのが

南方作戦の骨子でありました。

先駆けて前年の1941年にはマレー沖にてイギリス東洋艦隊を打ち破り、

プリンス・オブ・ウェールズおよびレパルスを撃沈せしめていたこと、

真珠湾攻撃によってアメリカの戦艦群が機能不全に陥っていたことなど、

日本側に非常に有利な情勢でありました。

 

参加艦艇・南方部隊

比島部隊(司令長官:高橋伊望中将・参謀長:中村俊久少将)

第十六戦隊

足柄

球磨・長良

第五戦隊

妙高・那智・羽黒

 第二水雷戦隊

神通

   第八駆逐隊

朝潮・大潮・満潮・荒潮

   第十五駆逐隊

黒潮・親潮・早潮(未実装)・夏潮(未実装)

   第十六駆逐隊

初風・雪風・天津風・時津風

   第十八駆逐隊

霰・霞・陽炎・不知火

 第四水雷戦隊

那珂

  第二駆逐隊

村雨・夕立・春雨・五月雨

  第四駆逐隊

野分・嵐・萩風・舞風

  第九駆逐隊

朝雲・峯雲・夏雲(未実装)

  第二十四駆逐隊

海風・山風・江風・涼風

 第五水雷戦隊

名取

  第五駆逐隊

朝風・春風・松風・旗風

  第二十二駆逐隊

皐月・文月・長月・水無月

第四航空戦隊

龍驤

汐風(未実装)

第十一航空戦隊

千歳・瑞穂

 

馬来部隊(司令長官:小澤治三郎中将・参謀長:澤田虎夫少将)

鳥海

香椎(未実装)

第七戦隊

最上・三隈・鈴谷・熊野

 第三水雷戦隊

川内

  第十一駆逐隊

吹雪・白雪・初雪

  第十二駆逐隊

叢雲・東雲(未実装)・白雲(未実装)

  第十九駆逐隊

磯波・浦波・綾波・敷波

  第二十駆逐隊

天霧・狭霧・朝霧(未実装)・夕霧(未実装)

 第四潜水戦隊

鬼怒

 第五潜水戦隊

由良

 

ダバオの戦い

南方作戦の取っ掛かりとして、まずはフィリピン・ミンダナオ島ダバオを根拠地とすべく

上陸・占領が行われた1941年12月20日が作戦開始日となりました。

同地における大勢の在留日本人の保護も目的でありました。

海軍の支援機による誤爆で三浦支隊に約50名もの犠牲者が出たため、

坂口支隊の投入をもって占領となりました。

 

タラカンの戦い

1942年1月11日、日本軍はオランダ領であるボルネオ島タラカンへと侵攻を開始しました。

長い間国交のあったオランダとは矛を交えたくはなかったのですが、

オランダとしては英米と戦端を開いてしまった日本に屈するわけにもいかなかったのでした。

タラカンの油田を求めて日本軍は侵攻してきたわけですが、

オランダにしてみれば植民地を奪われることに他ならず、

今もって両国の不仲に影を落とすことになってしまっています。

タラカンの占拠は陸海軍合同で行われ、

その際に掃海艇二隻が沿岸砲台により撃沈され、多くの死傷者が出てしまいました。

 

メナドの戦い

タラカンへの侵攻と同時に、セレベス島メナドへも出兵が行われました。

こちらは海軍単独での作戦となり、陸戦隊による強襲上陸の他

海軍空挺部隊による落下傘降下によってランゴアン飛行場の占拠が行われました。

これが、日本軍による初めての空挺降下作戦の実戦となりました。

 

バリクパパン沖海戦

タラカン・メナドの占領後、続けて日本軍はボルネオ島バリクパパンへと歩を進めました。

陸軍・坂口支隊を乗せた輸送船団を護衛する

海軍・第四水雷戦隊(司令官:西村祥治中将)が共同でバリクパパンへと向かいました。

新機軸の戦術である空挺降下は、タラアンの飛行場の整備に手間取り見送られました。

同時に、スラウェシ島ケンダリーおよびセラム島アンボンへの同時侵攻となる作戦群の一角でした。

1942年1月21日の夕方に第一護衛隊はタラカンを出港し、

22日にはマサッカル海峡に進出、ここで空挺部隊の支援が受けられないとの報を受けました。

23日未明から夕方にかけて、潜水艦の雷撃や爆撃機による空襲を受け

油槽船・南阿丸が撃沈されました(峯雲が乗組員を救助)。

24日の日付変更時間もなく、第四水雷戦隊が敵船(オランダ潜水艦K-18)を発見するも

雷撃を許してしまいました。

放たれた魚雷は機関停止状態で回避不能の旗艦・那珂の船底を通過して

護衛する輸送船・敦賀丸に着弾、撃沈となってしまいました。

とっさに麾下の駆逐艦に警戒態勢を取らせるも、

潜水艦の奇襲からわずか30分でアメリカ軍の水雷戦隊の襲撃を受けてしまいます。

とはいえ米艦隊も万全の状態ではなく、

ここまで来る間に軽巡ボイシが座礁、軽巡マーブルヘッドが機関故障により脱落

残る駆逐艦四隻のみにての襲撃となってしまいまいした。

戦場となったバリクパパン沖は地上施設や輸送船による噴煙で視界は最悪ながら、

米駆逐艦隊からは逆光で日本軍輸送船団は丸見えという絶好の奇襲の機会でした。

混乱する日本輸送船団に対して次々に雷撃を敢行した米駆逐艦隊は、

須磨浦丸・呉竹丸・辰神丸を撃沈せしめ、離脱して行きました。

結果として輸送船五隻を失う日本軍の敗北でしたが、

バリクパパンの占拠という戦術上の目的は達成。

無傷とはいかなかったものの油田や精油施設は健在のまま接収に成功し、

以後の物資補給に大いに役に立つことになりました。

なお、この時沈んだ輸送船に後の内閣総理大臣・中曽根康弘氏が乗船していたとのことです。

別の海戦では、天霧がジョン・F・ケネディが乗っていた魚雷艇を蹴っ飛ばしたこともありました。

戦果としては、完全に米駆逐艦隊にしてやられたカタチとなります。

この二匹目のドジョウを狙って東洋艦隊の残存艦・ヴァンパイアおよびサネットを

マレー沖に突入させて返り討ちにあったというエンドウ沖海戦が後に行われました。

洋の東西を問わず、成功体験による無謀な試みはあるということですね。

 

参加艦艇

日本軍・第一護衛隊(司令官:西村祥治中将)

第四水雷戦隊

那珂

 第二駆逐隊

村雨・夕立・春雨・五月雨

 第九駆逐隊

朝雲・峯雲・夏雲(未実装)

 第二十四駆逐隊・第一小隊

海風・江風

 

連合軍・第59駆逐隊(司令官:ポール・タルボット中佐)

ジョン・D・フォード、ポープ、パロット、ポール・ジョーンズ

 

ケンダリーの戦い

バリクパパンへの出兵と同時に、セレベス島ケンダリーへの攻勢も行われました。

1942年1月24日、メナド占領と同様の海軍による占領となりました。

 

バンジェルマシンの戦い

バリクパパンでの戦いで輸送船を喪失した陸軍・坂口支隊は、

陸路にてバンジェルマシンを目指すことになってしまいました。

1942年1月30日に出立してジャングルを経由しての行軍距離400km、

マラリアや蛭に悩まされながら2月10に到着、同飛行場の占拠となりました。

 

マカッサルの戦い

1942年2月9日、ケンダリー同様、海軍によるセレベス島マカッサルへの上陸、

占拠が行われました。

順調に時期を合わせて進軍していましたね。

 

アンボンの戦い

モルッカ諸島に属するアンボンは強固な要塞となっており、

攻略は第38師団歩兵第228連隊を基幹とする東方支隊および

呉第一特別陸戦隊によって行われました。

1942年1月24日、真珠湾強襲から帰投した第二航空戦隊・蒼龍&飛龍による空襲が行われ、

31日未明に東方支隊はアンボン市街へ突入、夕刻に占拠を果たしました。

郊外のラハ飛行場へ向かった呉第一特別陸戦隊および

第10中隊(若林中隊)の戦いは熾烈を極めるも、やはり夕刻には占領を果たしました。

 

参加艦艇

第二航空戦隊

蒼龍・飛龍

 

パレンバン空挺作戦

スマトラ島パレンバンは、蘭印作戦最大の攻略目標でした。

東南アジア最大級の油田と製油所を備える土地であり、

内陸部にあるため攻撃中に施設を破壊されるおそれがありました。

そこでメナド占領の際に実戦投入された空挺部隊の出番となりました。

1942年2月14日、降下部隊は飛行第64戦隊(加藤隊)と

59戦隊の一式戦闘機・隼の直掩を受け、パレンバン上空から降下を開始しました。

第一梯団は飛行場側に、第二梯団は市街地近くの湿地帯に降下成功しました。

完全な奇襲となった降下兵の強襲により、市街地と飛行場は占領されました。

懸念された製油所の被害は放火による火災はあったものの重大なものではなく、

順次到着した戦力により周辺地域の確保も完了し、作戦は成功しました。

大活躍した空挺団は「空の神兵」として大々的に喧伝されましたが、

以降の戦線においては制空権・制海権の喪失と共に活躍の場を与えらませんでした。

大戦全般においても、空挺部隊は地形や敵戦力を無視出来る強力な新兵科として注目され、

各国で研究や実戦投入が行われましたが、

多大な戦果と裏腹に各作戦における損耗もまた多大であったため、

どの軍隊においても最終的には縮小されていくことになりました。

HoIなどの戦略シミュレーションゲームでも異常に強い事が多く、

敢えて禁止レギュレーションが張られることも多い兵科となっています。

そりゃ実際に懐の傷まない戦力であれば効果は絶大ですからね。

 

バリ島沖海戦(バドゥン海峡海戦)

ジャワ島攻略の前哨戦として、急遽立ち上がったのがバリ島攻略作戦でした。

同飛行場を確保することにより、以降の戦線を有利に運ぼうとする狙いでした。

1942年2月18日、陸軍支隊を乗せた輸送船・笹子丸と相模丸を護衛する

第八駆逐隊はマカッサルから出港し、バリ島サヌールからの上陸作戦を敢行しました。

上陸・占領に抵抗はなく、目標の飛行場も確保出来ました。

空襲に遭い、輸送船が損傷するも物資の引き上げは完了し、輸送船も退避出来ました。

連合軍は潜水艦の哨戒によりこの攻勢を発見しており、

撃退すべく戦力を招集しようとしますが、

折しも2月15日・17日に空母・龍驤および陸戦隊により艦隊は被害を受けていました。

なんとかほうぼうから集められた艦艇により、ABDA艦隊が組織されたのでした。

この逆攻勢を受けて立ったのは、輸送船・笹子丸を送り届けた第八駆逐隊の四隻でした。

数の上ではABDA艦隊が圧倒していましたが、多国籍艦隊の弊害か連携が取れておらず、

計四度に亘る海戦では各個撃破されるカタチとなり、

結果的には駆逐艦ピートハイン撃沈他多数の損傷という損害を受け敗北しました。

第八駆逐隊の損害は、満潮の機関室被弾による航行不能がありました。

……ここでの損傷を癒やしている間に、僚艦全てを喪失し

地獄のスリガオに向かうこととなる満潮なのでした。

なお、本海戦で損傷したアメリカ駆逐艦スチュアートは、

ジャワ島スラバヤでの入渠中に日本軍の侵攻を受けた際に自沈処分となりましたが、

後に引き上げられて修理された鹵獲艦となり、第百二号哨戒艇と改名されました。

本イベントでの実装が期待される一隻です。

 

参加艦艇

第二水雷戦隊・第八駆逐隊(司令官:安倍俊雄大佐)

朝潮・大潮(司令駆逐艦・艦長:吉川潔中佐)・満潮・荒潮

 

ABDA艦隊(司令官:カレル・W・F・M・ドールマン少将)

オランダ軽巡洋艦:デ・ロイヤル、ジャワ、トロンプ

オランダ駆逐艦:ピートハイン(撃沈)

アメリカ駆逐艦:ジョン・D・フォード、ジョン・D・エドワーズ、スチュアート、ポープ、パロット、ピルスバリー

 

ティモール島の戦い

バリ島沖海戦と同日の1942年2月20日未明、

東方支隊によるティモール島クーパンへの上陸作戦が決行され、

空挺部隊の降下もあり、三方向からの包囲攻勢となるも抵抗する連合国軍は突破を図り、

それを追撃すること23日、連合国守備隊は降伏することになりました。

同日、ティモール島ディリにも上陸作戦が行われました。

 

スラバヤ沖海戦

ティモール島を奪取したことでオーストラリアからジャワ島への中継点を抑え、

1942年2月19日、南雲機動部隊によるポートダーウィン空襲により

連絡線を寸断することに成功しました。

ここまでの戦闘でABDA艦隊には損傷艦が増え、

首脳部は既にジャワ島の放棄を決定していたといいます。

オランダは本土を喪失している以上、もうこの植民地しかなかったため

おいそれと撤退出来ない状況にありました。

事実上、司令官ドールマン少将麾下の艦隊しか戦力は残っていなかったのでした。

相変わらず、連携の取れないような有様で。

2月27日の正午、バリクパパン基地から飛び立った偵察機がABDA艦隊を補足し、

戦場はスラバヤ沖との目測が立てられました。

会敵は17時頃、巡洋艦隊同士の対決が始まりました。

この戦いではアウトレンジでの砲雷撃戦が繰り広げられましたが、

投入した鉄量に比して命中弾が極端に少ないという結果となりました。

日本軍の経験した、本格的な艦隊戦は実に日本海海戦以来であり

時代に即したノウハウや戦訓が足りなかったというのは事実です。

特に魚雷の誤動作や誤爆・不発率は深刻であり、

実戦に即した調整が不足していたことは否めません。

最初の会敵となる第一次昼戦での有効打は、

エクセターに対する砲命中およびコルテノールへの雷撃のみだったとされています。

ただ、コルテノールへの一撃は致命的であり、またたく間に轟沈に至りました。

18時半過ぎ、態勢を整えた両艦隊は再び対峙しました。

長距離での雷撃が当たらなかったことから、

水雷戦隊各隊は接近しての雷撃戦を挑みました。

しかし、煙幕を炊き回避に徹するABDA艦隊には一発も当たらなかったといいます。

状況が動いたのは、四水戦麾下の九駆(朝雲・峯雲)が肉薄とも言うべき至近戦を挑み、

エレクトラへの砲撃を命中させてからでした。

朝雲もまた被弾しましたが、遂にエレクトラ撃破・撃沈に成功しました。

日暮れを迎え、昼戦はここまでとなりました。

猛烈な火力投射により羽黒の機関員が二名、熱射病で亡くなったとされ

この海戦を通じての日本軍の犠牲者はこれだけだったといいます。

ABDA艦隊は損傷したエクセターにヴィテ・デ・ヴィットを随伴として退避させ、

時間稼ぎのためにアメリカ駆逐艦隊に遊撃戦を仕掛けますが

雷撃は日本艦隊に届くことはありませんでした。

21時前、触接していた水上機の揚収作業中に会敵してしまったため、

那智・羽黒は水上機を回収しつつの逃走を図るしかありませんでした。

二水戦による応戦もありましたが、結局この第一次夜戦では

お互いに一発の命中弾もありませんでした。

ただ、23時頃に機雷接触を起こしたジュピターが爆沈し、

これを日本軍からの雷撃と錯覚したABDA艦隊は追撃のために北上する途上、

先に没したコルテノールの漂流者を発見、

救助したエンカウンターがスラバヤへ後送するために艦隊を離れました。

これで、ABDA艦隊は駆逐艦を全て喪失してしまいました。

巡洋艦四隻のみのABDA艦隊を追って南下する日本艦隊は翌日0時半頃、

四度目の会敵を果たしました。

昼戦での猛烈な砲撃により残弾少なく、砲撃要員も疲労困憊していた那智・羽黒でしたが、

昼間のトラブルで魚雷が丸々残っていたためここでの斉射となりました。

長距離・静音の酸素魚雷がようやく真価を発揮し、

今度は射撃体勢を観測する敵駆逐艦もいなかったことで完全な奇襲攻撃となりました。

魚雷は旗艦デ・ロイテルおよびジャワに命中、轟沈となりました。

沈没前に司令官ドールマン少将の撤退命令を受けたとされるパースおよびヒューストンは

敵艦撃沈に沸く日本艦隊を尻目にバタビアへの撤退を成功させました。

2月28日、沈没艦の生存者救助に赴いた病院戦オプテンノールが

日本艦隊の臨検を受け、拿捕されました。

以後は救助者や捕虜の収監の場となりました。

スラバヤに退避したABDA残存艦はほぼ戦闘能力を喪失しており、

特に損傷の激しいエクセターを護衛しながらの東への脱出を図ることになります。

シンガポールは既に失陥していたためマラッカ海峡は通行不可であり、

スンダ海峡かロンボク海峡かの二択となりましたが、

ここで日本艦隊が待ち構えるスンダ海峡に進んでしまったのでした。

3月1日昼、日本艦隊はエクセター・エンカウンター・ポープらを補足しましたが、

那智・羽黒は弾薬不足のために追うことが出来ず、

司令長官である高橋中将自らの乗る足柄・妙高の到着を待たねばなりませんでした。

曙が病院船オプテンノール護送のために向かう途中、エクセターらと出くわしてしまい

その誘致のために退避を図りました。

そうしてエクセター追撃戦とでも言うべき、第二次スラバヤ沖海戦が勃発しました。

スコールを利用して逃走と応戦を図るエクセターらでしたが、包囲を破ることは叶わず

まずはエクセターが砲撃を受け、続く砲雷撃の袋叩きにより沈没に至りました。

残る駆逐艦も追撃によりエンカウンターが撃沈、

ポープはまたもスコールに逃げ込んで一度は包囲を振り切りましたが

龍驤に補足され爆撃により航行不能、自沈処分となりました。

なお、エクセター隊と同時に出港したアメリカ駆逐艦隊はオーストラリアに離脱を図り、

途中二十一駆に補足されるも逃げに徹して無事にジャワ海峡を突破、

ポートダーウィンに入港しました。

ABDA艦隊を壊滅に追い込んだ日本艦隊は、漂流者の救助にあたりました。

各艦での対応こそ千差万別でしたが、大筋では好意的な対応であったとされています。

特に有名なのがエクセター乗組員の救助に当たった雷・電もエピドードで、

潜水艦の脅威にもはばからず救助を行ったことや

電艦長・工藤俊作少佐とサムエル・フォール氏との友誼が語られています。

 

参加艦艇

日本軍・第三艦隊・比島(蘭印)部隊(司令長官:高橋伊望中将)

第五戦隊(司令官:高木武雄少将)

那智・羽黒

 第七駆逐隊・第一小隊

漣・潮

 第二十四駆逐隊・第二小隊

山風・江風

第二水雷戦隊(司令官:田中頼三少将)

神通

 第十六駆逐隊

初風・雪風・天津風・時津風

第四水雷戦隊(司令官:西村祥治少将)

那珂

 第二駆逐隊

村雨・夕立・春雨・五月雨

 第九駆逐隊(駆逐隊司令:佐藤康夫大佐)

朝雲・峯雲

別働隊(蘭印部隊主隊 司令官:高橋伊望中将)

妙高・足柄

 主隊付属

曙・雷・電(艦長・工藤俊作少佐)

第四航空戦隊(司令官:角田覚治少将)

龍驤

汐風(未実装)

 

ABDA艦隊(司令官:カレル・W・F・M・ドールマン少将)

オランダ海軍

軽巡洋艦:デ・ロイテル(撃沈)ジャワ(撃沈)

駆逐艦:コルテノール(撃沈)、ヴィテ・デ・ヴィット

イギリス海軍

重巡洋艦:エクセター(撃沈)

駆逐艦:エレクトラ(撃沈)エンカウンター(撃沈)ジュピター(触雷・撃沈)

アメリカ海軍

重巡洋艦:ヒューストン

駆逐艦:ジョン・D・エドワーズ、ポール・ジョーンズ、ジョン・D・フォード、アルデン、ポープ

オーストラリア海軍

軽巡洋艦:パース

 

バタビア沖海戦(スンダ海峡海戦)

スラバヤ沖海戦と並行して行われた戦いであり、

第一次スラバヤ沖海戦での艦隊司令ドールマン少将の最期の指令により

バタビア(現・ジャカルタ)に退避したヒューストン・パース・エヴェルトセンでしたが、

既に死地となっていたこの地から脱出すべくスンダ海峡を越えて

チラチャップに向かうところでした。

エヴェルトセンがトラブルで後続となったため、二隻での突破を図ることになりました。

日本軍はジャワ島攻略を進めていたところであり、

カムランから56隻もの輸送船団を伴っての進軍でした。

ジャワ島沖での連合艦隊の襲撃を退け、1942年2月27日にはバタビア沖で

要塞攻略に向かう東海林支隊七隻の輸送船団が割譲され、

護衛艦隊も一部分割されました。

3月1日の日付変更時、パース・ヒューストンは神州丸以下の輸送船団を発見し、

これの攻撃に移りました。

突撃を掛ける両艦に対し迎撃体制を敷くと同時に、

別動中の第七戦隊にも応援を要請した日本艦隊からは、吹雪や春風が迎撃に出ました。

煙幕により視界を遮られ、一旦は両軍とも態勢を立て直す必要に迫られました。

二度目の会敵では名取以下の五水戦が出ましたが、

雷撃即煙幕のヒットアンドアウェイでは一発の命中もなく、

むしろ春風が損傷してしまいました。

三度目の会敵では第七戦隊の最上・三隈・敷波が参戦し、

雷撃の後に砲戦に移行し、ようやくヒューストンへの命中弾を記録しました。

以後は、先の会敵で魚雷を発射出来なかった春風・旗風の雷撃から始まり、

次発装填を終えた駆逐艦隊の再びの雷撃がヒューストン・パースを襲い、命中。

両艦は沈没寸前にまで追い込まれました。

日本艦隊側には、三隈に電気系統の故障、敷波にスクリューへの損傷があったのみでした。

間もなくパースは沈没に至り、ヒューストンもまた機関沈黙からの敷波の雷撃を受けて

撃沈となりました。

なお、後続していたエヴェントセンは十二駆の叢雲・白雲に補足されて攻撃を受け、

サブク島海岸に擱座しました。

スラバヤ沖海戦と合わせ、ここにABDA艦隊は全滅を喫したのでした。

ただ、最上の放った酸素魚雷が運悪く輸送船団に突き刺さり、

第二号掃海艇、輸送船・佐倉丸、が撃沈没、病院船・蓬莱丸が大破着底、

輸送船・龍野丸が回避中に座礁、神州丸にも命中があり

乗船していた第十六軍司令長官・今村中将が海上に投げ出され、

沈没艦から流出した重油まみれの海で三時間も漂流するという大惨事となりました。

新兵器であった酸素魚雷の射程があまりにも長過ぎたために起こってしまった事故でした。

スラバヤ沖海戦と同様、主に魚雷の扱いが稚拙であったことからの

戦術的落ち度が目立った戦いであったと言えますが、

こうした魚雷関連のトラブルはどこの海軍でもあったことで、

過渡期における兵器運用がいかに難しいかという証左でもありました。

 

参加艦艇

日本艦隊・第三護衛隊(司令官:原顕三郎少将)

バンタム湾方面軍・第五水雷戦隊(司令官:原顕三郎少将)

名取

 第五駆逐隊

朝風・春風、旗風

 第十一駆逐隊

吹雪・白雪・初雪

メラク湾方面軍

第十二駆逐隊

叢雲・白雲(未実装)

第二十二駆逐隊・第一小隊

皐月・文月

パトロール隊

由良

 第六駆逐隊・第一小隊

暁・響

 第二十二駆逐隊・第二小隊

長月・水無月

西方支援隊

第七戦隊・第二小隊

最上・三隈

第十九駆逐隊・第一小隊

敷波

上陸船団・陸軍第十六軍(司令長官:今村均中将)

神州丸・あきつ丸

 

ABDA艦隊

オーストラリア海軍

軽巡洋艦:パース(撃沈)

アメリカ海軍

重巡洋艦:ヒューストン(撃沈)

オランダ海軍

駆逐艦:エヴェルトセン(擱座)

 

バンドン要塞の戦い

ABDA艦隊の脅威を排除した日本軍は1942年3月1日、

各支隊に別れた輸送船団から一斉にジャワ島占拠に乗り出しました。

陸路は連合国陸軍ブラックフォースにより破壊し尽くされており、

その排除に犠牲を払いながら進軍路を修復しながらの行軍となりました。

5日にはバタビア、6日にはボイテンゾルグ、7日にはスラバヤを占領するに至りました。

一方、東海林支隊はジャワ島中部のエレタンから上陸、

第一挺身隊(大隊長:若林満則少佐)・第二挺身隊(大隊長:江頭多少佐)を組織し

カリヂャチィ飛行場へと向かいました。

猛烈な速度で進軍し、守備隊との交戦中に側面からの決死隊突入により指揮所が陥落、

飛行場の占拠に成功しました。

3月3日にはバンドン要塞から反撃の機甲師団が出撃し、

挺身隊は飛行場の防衛戦を試みますが、

平地での戦闘では持ち堪えられないと一転攻勢、

7日にはわずか700名での要塞への突撃を敢行、

要塞外郭の拠点を制圧するという大活躍を遂げました。

この報に驚愕したバンドンの蘭印軍司令部は混乱し、間もなく降伏に至ったのでした。

翌8日、降伏交渉がカリヂャチィにて行われ、翌々日の9日にはラジオにて降伏勧告が発布、

12日には蘭印軍将兵の全面降伏が完了し、蘭印作戦は日本軍の圧勝で幕を閉じたのでした。

 

セイロン沖海戦

蘭印作戦が前段作戦までだとしたら、

後段作戦は他のモチーフを持って来ないとならないわけですが、

そうなると南方作戦という括りでは

最も都合が良いのがセイロン沖海戦となります。

蘭印作戦から直通する海戦でありますし、

丁度連合艦隊で出られそうな規模になりますし。

……実際は、艦隊決戦が行われることなく小競り合いで終結しちゃったんですけどね。

1942年3月の時点でインドネシアの資源地帯の確保が完了し、

フィリピンのバターン半島に籠もる米軍の攻略とビルマ方面を除いた

南方攻略作戦は順調に推移していました。

となれば、ベンガル湾からインド洋へと足を伸ばすのが常套手段となるわけですが、

その最大の障害となっていたセイロン島を攻略して東アジア支配を確固たるものとし、

同盟国であるドイツ・イタリアとの連携を密にしたいという陸軍側の意向と、

本格的にアメリカが攻めてくることねの懸念からオセアニア方面を早期攻略して

米豪分断作戦を進めたい海軍側、というか軍令部の意向とが衝突することになりました。

例によって陸海軍同士での対立が始まるかと思いきや、

現実的な情勢分析から西方進出は中断せざるを得ないという結論に至りました。

開戦から間もなくと言って良い時期ではありましたが、

既に攻勢限界の壁に直面していたとも言えるでしょう。

つーか、当時の日本の版図というかシーレーンの長さというかは

人類史上でも屈指の無謀極まるものじゃなかったんですかね?

ともあれ、西進はしないにしても現状攻略中のビルマへの補給線を確保するためには

どっちにしろセイロン島に居座る東洋艦隊の存在が脅威であるのは確かだったので、

いずれ戦力を分割するにしろせっかく揃っている今の時点で叩いておくべきとなったのでした。

1941年・マレー沖海戦で一度東洋艦隊を下しており、

今またABDA艦隊を壊滅に追い込んだのですから、

ここで再び東洋艦隊を叩けば以後の安全が確保されるというわけですね。

本格的な攻勢に出る前に、橋頭堡として北部スマトラ島とアンダマン諸島を占拠し、

基地を整備しておく必要がありました。

併せて、丙潜水部隊によるセイロン島への偵察および通商破壊も行われました。

このあたりは、輸送なりギミックなりで再現されるかもしれません。

一方、マレー沖にて戦艦二隻を失い、シンガポールやインドネシアを失陥した

イギリスを中心とする東洋艦隊はやられっぱなしでいるわけもなく、

本国からの増派を受け大艦隊を編成していました。

根拠地であるセイロン島に日本軍が攻めてくるのは自明の理であり、

ここを失えばインド洋はおろか中東への通商路ばかりかスエズ運河まで失陥して

アフリカの支配体制すら揺るぎかねない事態でありました。

とはいえ、東洋艦隊の在り方は「ただそこにいるだけで睨みを効かせる」という

戦わずして優位に立つという現存艦隊主義に基づくものでり、

可能であれば艦隊決戦は避けたい方針でありました。

商業港として窮屈な拠点であるコロンボからトリンコマリー港や

隠し基地であるアッドゥ環礁に戦力を移す等はしていましたが。

3月26日、セレベス島を発った日本艦隊はインド洋に入りました。

この動向は、既に日本軍の暗号を解析しつつあった連合国には筒抜けであったようです。

4月5日、コロンボへの空襲が敢行され、南雲機動部隊(加賀さん以外)からは

淵田美津雄中佐率いる第一攻撃隊が仕掛けました。

淵田隊、来ると良いなぁ……。

港湾施設や飛行場に打撃を与えましたが、東洋艦隊は事前にほとんど退避していたため、

残っていた駆逐艦テネドス、仮想巡洋艦ヘクター撃沈他に損傷を与えたのみでした。

淵田隊は第二次攻撃を要請しましたが、偵察により外洋に敵艦隊発見の報があり、

基地への空襲を続けるか敵艦隊に対処するかで幕僚の意見が分かれることとなりましたが、

港湾にはせいぜい駆逐艦くらいしかいなかったこともあり艦隊攻撃へ舵が切られました。

発見したのは重巡洋艦コーンウォールとドーセットシャーの二隻であり、

江草隆繁少佐率いる九十九式艦爆隊により撃沈となりました。

付近には英国艦載機が見られたことから機動部隊が潜んでいるものと思われましたが、

その姿を見つけることは出来ませんでした。

東洋艦隊は脅威としてその存在を仄めかしながらも、

実際は艦隊決戦を避けるという逃げの一手であったため、こうした事態になったと言えます。

幸か不幸か、艦隊同士が行き違いになる場面が多かったのも事実ではありますが。

そして、日本艦隊の次なる目標がトリンコマリー港であることは自明の理であり、

空母ハーミーズ、駆逐艦ヴァンパイアを始めとする艦隊は直ちに出港を余儀なくされました。

4月9日、トリンコマリー港沖に進出した南雲機動部隊は、艦攻隊による空襲を開始しました。

また、敵機の触接を辿りハーミーズらをも発見したことにより、

艦爆隊によってハーミーズおよびヴァンパイアを撃沈せしめるに至りました。

他、哨戒艇やタンカーも撃沈しています。

センロン沖海戦をやるとしたら、

コロンボおよびトリンコマリーへの地上攻撃が主となることでしょう。

あと、敵機動部隊との交戦でしょうか。

一方、南雲機動部隊と別れて航行していた馬来部隊は、

ベンガル湾からインド洋にかけての通商破壊作戦を遂行中でした。

4月6日までに多くの商船を撃沈・大破させています。

4月11日にシンガポールへ帰投した馬来部隊は旗艦を鳥海から香椎に委譲し、

内地や他の戦場に向かっていきました。

南雲機動部隊もMO機動部隊や南洋部隊に分割されて太平洋に向かうこととなり、

ここに南方作戦は終了したこととなりました。

東洋艦隊といえば、事実上セイロン島を失陥し、

発見されなかったとはいえアンドゥ環礁基地も安全とは言えない状況となったため、

大きくアフリカ大陸沖のマダガスカル島までの退避を余儀なくされました。

結局、大規模な艦隊決戦は行われないままとなりました。

……なので、「もしも東洋艦隊との決戦があったとしたら」というIFが

後段作戦にて展開されるかもしれませんね。

その場合、東洋艦隊旗艦であった

スパ子(Warspite)モチーフの姫級が立ち塞がることになるでしょうか。

本来なら、ここで報酬艦になるはずだったのかもしれませんね、姫様。

さて、当面の敵をインド洋から駆逐したとは言え

こうして東洋艦隊主力は健在であったわけですから、当然ながら備えは必要になってきます。

香椎ら残存艦隊だけではさすがに対処出来ないため、

増派してのインド洋方面海上交通破壊作戦(B作戦)が決議されます。

7月末にマレー半島に集結した艦隊は、かつての南方部隊のような陣容を構えたいところでしたが、

ミッドウェーでの敗戦や珊瑚海での被害も重なり、

せいぜいが水雷戦隊中心とならざるを得ませんでした。

8月7日の作戦決行の段になって、連合軍のウォッチタワー作戦により

ガダルカナル方面の戦況が悪化、

作戦は中止となり艦隊はトラック諸島やソロモン諸島へと散って行きました。

以後は知っての通り、ソロモンでの戦いが泥沼化したこともあり、

とてもインド洋方面に戦力を傾ける余裕はなくなってしまいました。

せいぜいが、潜水艦による細々とした通商破壊に終止するのみとなってしまったのです。

このことがドイツ・イタリアへの連絡を欠く結果となり、途端に関係は冷え込んでいくこととなり

経済や技術の交流に支障をきたすことが敗戦の一助となってしまったのでした。

イベントでB作戦が盛り込まれるとしたら、通商破壊でのギミック解除になるでしょうかね?

 

参加艦艇

日本軍

南方部隊本隊(第二艦隊司令長官:近藤信竹海軍中将)

第四戦隊

愛宕(司令官:近藤信竹海軍中将)

 第四駆逐隊・第一小隊

嵐、野分

 

南方部隊機動部隊(南雲機動部隊)

(第一航空艦隊司令長官:南雲忠一海軍中将)

空襲部隊(南雲長官直率)

第一航空戦隊

赤城

第二航空戦隊

蒼龍(第二航空戦隊司令官:山口多聞少将)、飛龍

第五航空戦隊

翔鶴、瑞鶴(第五航空戦隊司令官:原忠一少将)

 

支援部隊(第三戦隊司令官:三川軍一中将)

第三戦隊

第一小隊

比叡(司令官:三川中将)、霧島

第二小隊

金剛、榛名

第八戦隊

利根(第八戦隊司令官:阿部弘毅少将)、筑摩

 

機動部隊警戒隊(第一水雷戦隊司令官:大森仙太郎少将)

第一水雷戦隊

阿武隈(司令官:大森仙太郎少将)

第四駆逐隊・第二小隊

萩風、舞風

第十七駆逐隊

浦風、磯風、浜風、谷風

第十八駆逐隊

霰、霞、陽炎、不知火

第五航空戦隊

秋雲

 

 補給部隊

第一補給隊

神國丸、健洋丸、日本丸、東榮丸、國洋丸、旭東丸

第二補給隊

日朗丸、第二共榮丸、豊光丸

馬来部隊(第一南遣艦隊司令長官:小沢治三郎中将)

北方隊(第七戦隊司令官:栗田健男中将)

第七戦隊・第一小隊

鈴谷、熊野(司令官:栗田健男中将)

 第二十駆逐隊

白雲(未実装)

中央隊(司令官:小沢治三郎中将)

第四戦隊

鳥海

 第五潜水戦隊

由良(第五潜水戦隊司令官:醍醐忠重少将)

第四航空戦隊

龍驤(第四航空戦隊司令官:角田覚治少将)

 第二十駆逐隊

朝霧(未実装)、夕霧(未実装)

南方隊(指揮官:崎山釈夫大佐)

第七戦隊・第二小隊

最上、三隈(指揮官:崎山釈夫大佐)

第二十駆逐隊

 

天霧

補給部隊(指揮官:作間英邇中佐)

綾波(指揮官:作間英邇中佐)、汐風(未実装)

給油艦・日栄丸

警戒隊(第三水雷戦隊司令官:橋本信太郎中将)

第三水雷戦隊

川内(司令官:橋本信太郎中将)

第十九駆逐隊・第一小隊

磯波、浦波

第十一駆逐隊

吹雪、白雪、初雪、叢雲

丙潜水部隊(第二潜水戦隊司令官:市岡寿少将)

伊2、伊3、伊4、伊6、伊7

 

南方部隊航空部隊(第十一航空艦隊司令官:塚原二四三少将)

基地航空隊、飛行艇部隊

 

B作戦

主隊(司令官:大川内中将)

香椎(未実装)、春風、占守

機動部隊(第十六戦隊司令官:原健三郎少将)

中央隊(司令官:原健三郎少将)

第十六戦隊

名取、鬼怒

 第十一駆逐隊

吹雪、白雪、初雪、叢雲

南方隊(司令官:西村祥治少将)

 第七戦隊

鈴谷、熊野

 第二駆逐隊

村雨、夕立、春雨、五月雨

 第十五駆逐隊

黒潮、親潮、早潮(未実装)

北方隊(司令官:橋本信太郎少将)

 第三水雷戦隊

川内

 第十九駆逐隊

浦波、綾波、敷波

 第二十駆逐隊

天霧、朝霧(未実装)、夕霧(未実装)、白雲(未実装)

航空部隊(第二十一航空戦隊司令官:多田武雄少将)

基地航空隊

第二十一航空戦隊、第四十航空隊、第二十三航空戦隊

潜水部隊・第三十潜水隊

伊165、伊166

補給隊(旭東丸特務艦長)

初鷹、雁、旭東丸、日本丸

 

連合軍・東洋艦隊(司令長官:ジェームズ・サマヴィル中将)

正規空母:インドミタブル、フォーミダブル

軽空母:ハーミーズ(沈没)

戦艦:ウォースパイト、レゾリューション、ラミリーズ、ロイヤル・サブリン、リヴェンジ

重巡洋艦:コーンウォール(沈没)ドーセットシャー(沈没)

軽巡洋艦:エンタープライズ、エメラルド、ダナエ、ドラゴン

仮想巡洋艦:ヘクター(沈没)

オランダ軍軽巡洋艦:ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク

駆逐艦:テネドス(沈没)、他14隻

オランダ軍駆逐艦:ヴァンパイア(沈没)

 

新規艦・予測

史実での参加艦艇から伺える新規艦の予測になりますが、

日本艦からは――

練習巡洋艦:香椎

駆逐艦:東雲・白雲・朝霧・夕霧・夏雲・早潮・夏潮・汐風

揚陸艦:神州丸

といったあたりでしょうか。

中でも有力なのは、香椎・神州丸だと思われます。

実戦に投入され、陸軍総旗艦ともなっていた神州丸は有力候補だと思います。

香椎は蘭印作戦には参加しておらず、

それ以前は南遣艦隊旗艦として占守らを率いていましたが

南方部隊の創設に従い旗艦を鳥海と交代、

以降は馬来部隊第二護衛隊としてマレー半島攻略に参加していました。

パセリ氏の新規艦デザインは明言されているので、

特に香椎は有力候補となっています。

直近では、中の人が朝霜改二を当てていますしね♪

 

って、パセリ氏は神州丸担当だったデースッ!?

だが、香椎実装の可能性を諦めるのはまだ早いデース!

新規艦を二隻以上手掛けるってことはあるにはあるのですし。

後段作戦がセイロン沖作戦なら、きっと……!

駆逐艦は、誰が来るのかはちとわからないですね。

草太氏も新規艦を手掛けるとのことなので、

もしかしたら睦月型最後の子である夕月が来たりして?

とはいえ、実装順からするとむしろやどかり氏デザインであるべきではあるのですよねぇ。

だったら、今回のモチーフ的には雷・電の改二実装の方を期待したいとこではあります。

海外艦からの新規艦は――

重巡洋艦:デ・ロイテル、ジャワ、ヒューストン

軽巡洋艦:パース、エクセター

駆逐艦:エンカウンター、スチュアート

あたりになるでしょうか。

沈没艦は等しく候補に上がるとは思われますが。

ヒューストンは、運営電文にて実装が確定しました♪

どうもドロップ艦くさいので報酬艦はまた別でしょうから、

ネームシップ補正で、ノーザンプトンが来る可能性もあります。

第二次欧州遠征の時なんかでは、本来ならロドニーが相応しいところを余(Nelson)でしたし、

第二次ハワイの場合でもその場にいなかったコロちゃん(Colorado)だったりしましたので。

 

そして、11/28のランカー報酬にてオーストラリア艦にも用いられた英国製中口径砲が配布され、

なんかコアラ背負った妖精さんが描かれたことで

にわかに豪軽巡パース実装の可能性が濃厚になってきました!

E-3・E-4海域あたりの報酬艦でしょうかね?

とにかく今は予想するしかないので、何ら確証のない話に終止してしまいますね。

とはいえ、こうやってモチーフ海域や新規艦について

語らうのって楽しいですよね♪

 

2019年秋イベ・モチーフ海域参加艦艇・練度表

というわけで、蘭印作戦&セイロン沖海戦の参加艦艇練度表を作ってみました。

例によって、EXELデータも貼っておきますね。

練度を入力したらpdfで保存→フォトショなりなんなりで読み込んでjpgやpngで保存デース♥

 

神楽の艦隊練度を出力してみました。

まぁ大丈夫でしょう。

セカンド艦以降のはすずくま(鈴谷・熊野)以外書いていませんが。

ところで、スラバヤ沖海戦のとこの四水戦の画像が

変換の際にズレるのはおま環なのでしょうか?

 


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